温故知新も道のひとつ

温故知新も道のひとつ

右側県道拡幅のため奥の蔵を曳家による移動その他。
左では住宅部、中央は大正年間に建てられた母屋を保存のため改修、国の登録文化財申請中。

砥部町に2021年春に開館(正確にはリニューアルオープン)した『砥部むかしのくらし館』は、3年間にわたり、グローブコンペティションが全力を傾けて取り組んだプロジェクトでした。

大正年間に建築された「梅山窯」の商業の中心であった商家と蔵が、県道拡幅のために取壊しを迫られていました。
物語は明治時代に遡りますが、大きく動き出したのは戦後、昭和28年、日本民藝運動の創始者であった柳宗悦やイギリス人美術家・陶芸家であったバーナード・リーチらが、当時の愛媛県知事久松定武と砥部町長でこの家の主であった梅野鶴市の招聘で訪れています。
戦後の砥部は低迷し混迷の淵にありました。砥部はこの時、日本民藝運動の哲学的な精神運動の洗礼を受けます。そうして砥部焼は戦後の低迷を脱し再び輝きを取り戻します。
その日本民藝運動の思想に触れた梅野家は、鶴市の二女松子が中心となって膨大な蒐集活動をはじめます。
昭和38年には資料館「旧とべむかしのくらし館」が展示を開始しました。それから約60年が経ち、道路拡幅計画を機に大きく様変わりをさせるとともに、歴史を深く調査して極力建築当初の姿を取り戻しました。

計画中には江戸末期の六曲一双『群鶴図屏風』が発見され金屏風に墨が塗られた奇妙な姿に『消えた落款の謎』(山田徹 著 2020年)に纏めるなど、単にデザイン設計と展示計画に留まらず、研究対象として取組みました。

 

 

 

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